8月中旬の現状/FUJI ROCK FESTIVAL開催について

オリンピックを開催するにあたっての答弁を、「帰省」に置き換えて皮肉るようなネタが出回っている。自己都合だけの答弁で何の合理性もないから、言葉を置き換えて皮肉に使われてしまうのだ。オリンピックの開催が政府の自己都合のように見えてしまったことで、オリンピックより小さい規模のイベントは全て自己都合で正当化できてしまうようになった。

ただ実際に帰省したとして、自分がコロナウイルスに感染していたり、集まった親戚の誰かからコロナウイルスをもらってしまったら、一番困るのは自分たちの家族や親族だ。何か政府に皮肉の一つを言いたい気持ちは分かるけれど、感染リスクを考慮すれば帰省を控えた方がいいのは事実ではある。

政府の説明不足に腹を立てるのは自然だと思うけれども、政府の責任だと言って好き勝手に行動したとして、何かあったときに困るのは結局自分自身ではある。世の中の風潮は悪い方向に進んでいるなと感じる。


どうせ今年のFUJI ROCK FESTIVAL (FRF) は無観客になるのだろう、いつ判断するのだろうか、とずっと思い続けていたので、結局有観客での開催に踏み切ったのには驚いた。

公共衛生の観点では、今年のFRFは無観客で開催すべきだったと思う。ただ主催者の立場では、有観客で開催する理由はあったとも思う。

他の多くの夏フェスが開催を断念する中、FRFが有観客での開催に踏み切ったのは、主催者の強い意向ゆえだ。日本における音楽フェスのパイオニアとして、ここで立ち止まれないと感じたのだろうし、ROCK IN JAPAN FESTIVALから受け取ったバトンの重さもきっと感じていただろう。後ろにはSUPERSONICも控えている。無観客ではなく有観客での開催を決行したのは、金銭的に無観客・有料配信での開催に切り替えられなかったからだろうし、有観客での開催に対して強い思いがあったからかもしれない。演奏は観客との対話であり、音楽フェスはその象徴とも言える舞台なのだ。

もちろん目下にはコロナウイルスの感染拡大があり、従来以上の感染対策が必要とされている状況がある。しかしながら自治体から開催にNGが出たわけではなく、どう対策すれば安全な開催が実現できるのか、具体的な対策内容は誰も示してくれない。RIJが憤ったように。こんな手探りの状況下で、文字通りの「自粛」をするかどうかを社会的に迫られたとき、きっと中止したり無観客とした方が気持ちは楽にはなっただろう。それで発生した赤字を補填してくれる人は誰もいないけれど。

しかしながらこのコロナ禍に対しては、収束への指針が示されていないのが現状だ。最後の切り札とされている緊急事態宣言下でも感染は拡大しており、これを食い止める現実的なプランは提示されていない。ただ個々への感染対策の強化がお願いされているだけであり、感染はダラダラと拡大している。

唯一の望みはワクチン接種の加速であり、ワクチン接種者の割合が増えると感染はある程度緩和させることができるだろうし、インフルエンザのように感染を社会で許容できる未来が描けたりするのかもしれない。しかしながらそういった未来の見通しは、少なくとも社会の共通認識とはなっていない。もし共通認識となっているのなら、ワクチン接種を前提とした社会活動再開への道筋が描かれて、ワクチン接種をやんわりと忌避するような一部の風潮は払拭されているだろう。

もし「○月末までに国民へのワクチン接種を済ませるから、それまでは活動を延期してくれ」といったメッセージが数ヶ月前に政府から出ていたら、今開催はしなかったかもしれない。よく言われる、関係各位への「補償」があれば、中止する判断はあり得たのかもしれない。しかしながら、そんな方針は今まで何も示されていなかったのだ。

コロナウイルスとの戦いはまだ今後も続いていくだろう。長い戦いになる。しかしそのような状況下において、音楽フェスのような大人数が集まるイベントをどのような形で開催していくのか、公共からガイドラインを作ろうとする動きは見えない。感染状況に応じて開催形式が突然制限されてしまう今までのやり方では、イベントの興行なんて一か八かになってしまう。今主催者が開催を自粛したとしても、その先の未来で開催ができるようになるビジョンが存在しないならば、わざわざ自分から中止を判断する理由がないのだ。

状況が改善されるだろうと思って一年延期して、今年は去年より状況は悪化したのだ。今年も中止して、来年には状況が改善されているだろうと、誰が信じられるだろうか?

主催者が開催に踏み切った背景は想像できる。自粛しても未来が見えないのだから、開催に踏み切るしかなかったということだ。


しかし多くの夏フェスは中止の判断をしており、それは社会的な情勢を鑑みてのことではある。開催に踏み切ってしまうことが公共衛生の観点で正しくないのは明らかだ。

重要な視点として、FRFのステージでTHA BLUE HERBのBOSSがメッセージを残した。ここで語られたのはFRF開催のその先だ。FRFを無事に終わらせた上で未来をどうするか考えていかなければならない、危険な橋を渡らざるを得ないシーンに手を差し伸べてくれと訴えている。

FRFの開催後にコロナウイルスの感染拡大が確認されなかったとしても、それで未来が明るく照らされるわけではない。FRFを成功体験の一つとして同じようにフェスが開催できたとしても、次また同じ結果になるとは限らない。結果に頼って開催を続けたとしても、それは結局クラスターが確認されて社会から糾弾されてしまうまで、祈りながらサイコロを振り続けているだけだ。そもそもFRFの開催が失敗だったと判断されて、いきなり社会的に自粛を強いられてしまう可能性すらある。

FRFの開催の是非を論じるだけでは未来がない。そして開催後に問題がなかったからといって同じことを続けるのも、問題があったとして強制的に自粛させられるのも未来がない。未来を見据えて、果たしてこれからも音楽フェスは存続できるのか、存続するためにはどうあるべきなのかを考える必要がある。

存続のために必要なのは中止しても生活が続けられるための補償なのか、困難な状況の中で開催するためのガイドラインなのか。それは主催者だけで検討したり責任を持てるものではないだろう。


FRFの主催者であるSMASHはプロモーターである。海外のアーティストを招聘するプロモーターとして、よりライブの現場にこだわった「有観客での開催」という判断がなされたのかもしれないな、とは思う。有料ライブ配信のビジネスはSMASHの守備範囲ではないから、有料配信でマネタイズする方向には進めなかったのかもしれない。

個人的には無料配信したYouTubeチャンネルの2や3だけでも有料配信にすればよかったのにとは思うけれど……当日までアーティストの出演可否が読めない状況では難しかっただろうか。今回の配信を見て主催者に(グッズ経由ではなく)直接お金を落としたいと感じた人は多くいたはずで、その受け皿がないのはもったいない。


今年のFRFのような、緊張感のある夏フェスはもう二度とないだろう。出演したアーティストの多くが、大規模フェスのステージに飢えていて、熱量の高いパフォーマンスが続いたフェスだった。どのような気持ちでステージに立ったにせよ、立ったからには何かを残さなければならないと、どのアーティストもきっと感じていただろう。

間違いなく語り継がれるフェスになった。コロナウイルスが収束した頃には、今年のFRFの現場にいたことを自慢話として語る人がきっと出てくるに違いない。もちろん運良くコロナウイルスに感染せずに日常に戻ることができたら、の話ではある。

配信を見ながら、このステージを会場で味わいたかったな、と羨ましくなってしまった自分がいる。もちろん現地にいたら、今も不安な気持ちを抱えて過ごしているだろうけれど……。まずは関わった人たちの無事を願うばかりだ。