NUMBER GIRL TOUR「NUMBER GIRL」@なんばHatch (2019.09.07)

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私は友達と前方で静かにメンバーの登場を待っていた。緊張していたけれども、もっと緊張してもいいのになと思う気持ちも同時にあった。ステージにはメンバー四人の楽器が既に準備されていて、正しくそれは目の前にある「現実」なのだけれども、ライブを観たことがないままバンドを神格化していた私にとっては、ここまで舞台がお膳立てされていても、どこか現実感に欠けているような気がしていた。

フロアにMARQUEE MOONが流れて、観客のボルテージが一気にヒートアップした。それまでは余裕がありそうな素振りで会話をしていた周りの観客たちも、もれなく全員の気持ちのスイッチが入っていた。みな狸だ。私も狸だった。メンバーの四人がステージに登場した時には、歓声は怒号のようにフロアに響き渡っていた。皆が何を叫んでいるのか判別ができない。私にとってはメンバーの四人ともよく見知った顔であり、特に向井さんの顔は恐らく百回弱はステージ上で拝見している。生で拝見するのが初めてではないメンバーが、ただ登場しただけで興奮するのはおかしいのだけれども、やはり私も頭がおかしくなって叫んでしまっていた。獣のようなスタイルで。四人がこのステージに揃う、ということはそれ程の価値があることなのだ。観客の誰もが当然そう思っていた。

一曲目は「大あたりの季節」。インディーズ時代の曲で、知名度も高くないはずの曲なのに爆発的に盛り上がる。テンポがやや早めで軽快な曲だからだろうか、いやその瞬間は恐らく「ナンバーガールが今目の前で演奏していること」に観客は皆飲まれていたからだろう。この曲を知らない観客も多かっただろうに、どんちゃん騒ぎで盛り上がった。

そして二曲目が「鉄風 鋭くなって」。観客の目の色が変わる。「鉄風!」と絶叫する声が響き渡り、フロアの熱量が二曲目にして最高潮に達した。そこから「タッチ」「ZEGEN VS UNDERCOVER」と息をつく暇が無い。ライブを観たことがない多くの観客にとっても、何十年前にライブを数回観ただけの観客にとっても、演奏される全ての曲がライブで聴くと新鮮だった。休める曲などあるわけがなく、体力が切れるまで踊り狂う観客の集まりがそこにあった。五曲目「OMOIDE IN MY HEAD」で頭が真っ白になり、私は体力の危険を感じて後方に下がって観ることにした。

後方で空間を確保しながら落ち着いて観ることにして、ようやく気付き驚いたのは、各メンバーのプレイの安定感だった。様々な過去のライブを見聞きするに、ナンバーガールのライブは何よりも勢いが重視されていたと思う。だけれども、解散後の各々の鍛錬により技術が高まった結果、今のナンバーガールの演奏は非常に安定感のあるものになっていた。音が外れても気持ちがそこに引きずられることがなかった。憲太郎さんのベースに揺らぐ気配が全くなかったからだ。「YOUNG GIRL SEVENTEEN SEXUALLY KNOWING」などは向井秀徳アコースティック&エレクトリックで何度も聴いていたけれども、そのソロでの演奏にはないギター音があり、曲の筋肉となっていた。ひさ子さんのジャズマスターだ。そして気の狂ったようなビートを刻むアヒトさんが、曲に大輪の花を咲かせていた。「向井秀徳のバンド」ではない、「向井秀徳アヒト・イナザワ中尾憲太郎45才と田渕ひさ子のバンド」がそこにあった。ZAZEN BOYS向井秀徳のバンドとして何度も何度も観ていた私にとって、そのバンドの一メンバーとして存在している向井さんがとても新鮮で、その拮抗した力関係による演奏で生み出されている迫力に、圧倒された。

曲と曲の合間に挟まれる向井さんの惚けたMCに、鉄面皮を貫く憲太郎さん。笑いと困惑を見せるひさ子さん。自分のペースを整えているアヒトさん。演奏以外で表立ったメンバー間の絡みはない。ただ観客の歓声にはメンバー皆、たまに反応をされていた。皆、メンバーのためというよりも観客のために演奏をされているのだと思った。この再結成が長く続くことはないのだろうけれども、バンドのライブを待っている人が沢山いることが明らかだから、日本各地で演奏する。そう決めている。そんな意志を感じた。

「透明少女」はあっという間だった。ナンバーガールのライブはあっという間に曲が終わっていく。ZAZEN BOYSのような特別なロングアレンジがあるわけでもなく、ただ各音源に忠実な演奏が続いた。それで充分に新鮮だったし、「水色革命」のようなインディーズの頃の曲がセットリストに挟まれることに新鮮さがあった。夢かもね。確かにこのライブを観るのが夢だったよ。そして「日常に生きる少女」の轟音には「音源に忠実」という言葉はナンセンスだった。

「NUM-AMI-DABUTZ」で再度気合いがみなぎり、「Sentimental Girl's Violent Joke」では、観客が各々の感情を各々の中で高めながら踊っていた。力尽きて棒立ちになる観客の中で、ただ自分が育てたナンバーガールへの思い出を、目の前のライブで噛みしめながら、腕を振り上げたり拳を握る観客たちがいた。後半になり観客のライブの楽しみ方がそれぞれになってきて、ただ自分の中の好きな気持ちを表に出さざるを得なくなっている観客が、自分のリズムで拳を握ったりしながら不思議なダンスを踊っていた。私もそうだった。

「Destruction Baby」で真っ白にさせられて、「Manga Sick」で拳を振り上げて、殺風景からの曲の連発に盛り上がって。きっと誰もが別々のライブの楽しみ方をしていて、きっと全員が充足していた。「I don't know」で絶叫して「EIGHT BEATER」で飛び跳ねて、いよいよ本編が終わるかと思ったところで、最後に一曲演ってくれたのが「IGGY POP FUN CLUB」だった。

IGGY POP FUN CLUB」の歌詞は、ナンバーガールのことを思い出していた私の感情だった。何十回、何百回とリピートしていた時には全く自覚がなかったけれども、この曲を聴く度に、ナンバーガールを、ナンバーガールを現役のバンドとして聴いていた頃を私はきっと思い出していた。その感情の蓄積が、この瞬間にわかってしまった。今目の前にナンバーガールのメンバーがいて、演奏している。そのメンバーの輪郭を思い出と重ねて、心に刻みつけた。私の中で「ナンバーガールを観る」という目的が達成された瞬間があるとすれば、この時だった。

アンコールでもう一度「OMOIDE IN MY HEAD」。時間を空けて整い直した観客が、これが最後のチャンスだとばかりにまた爆発的に盛り上がる。また頭が真っ白になった。そして「TRAMPOLINE GIRL」は新旧両方を演奏。まるで夏が戻ってきたかのような暑さだった今日の大阪で、初めてこの夏の曲「TRAMPOLINE GIRL」を聴けて、良かった。

ライブ音源を何度も聴いて、それはもう向井さんの口上を覚えてしまう位何度も聴いて、もし私がそのライブにいたらこうやって盛り上がるのにな、という妄想が現実になった。それは「TRAMPOLINE GIRL」後半のダッダッダッダッダッダッツダーンの部分を首ガクガクでリズム取るとか、「U-REI」で「(死神とは手を)組まねえーっ」と絶叫するとか、ドラムカウントを一緒に叫ぶとか、腕を突き上げるタイミングとか、共感なんてない些細なものの積み重ねだけれども、曲のフレーズの一つ一つに思い出があって、そのフレーズへの思いを昇華させることができたのは、私にとって最高の体験だった。

家に戻り、魂が抜けたようになっている。夢のようなライブで、その現実感もまた薄れそうになっているけれど、ただ滅茶苦茶に痛んでいる両肩が、あのライブが現実だったことを今でも私に教え続けてくれている。

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セットリスト

下記の力作!を整えさせて頂きました。感謝です。